平等で美しい世界。E-sportsの未来。

いまの大人たちが老いて、

ゲームに慣れ親しんだ若者たちが社会をつくるようになったら、

ゲームはもっと社会に受け入れられて、

当たり前になると思う。


どこまですごいことになるかワクワクしてる。


例えば今ニュース番組でスポーツコーナーがあって、

プロ野球だサッカーだの報道するのが普通。


じゃあゲームに疎い世代が引退して、俺たちが社会の中心になったらそれはどう変わる???


今何よりも勢いがすげえのはApexだと思う。


みんなやってる。


いつかニュース番組でApexのプロリーグのニュースが流れる日が来ると思う。


じゃあなんでみんなApexが好き?

なにが楽しい?


もはやこの質問はテレビゲームだけじゃない


なんで野球、サッカーって''ゲーム''はみんなに受け入れられるのか?

その根底にあるものってなんだ。




「平等で美しい世界」



ただこれだけだと思う。


みんなこれを求めてる。


努力や実力がそのまま結果になる世界。


結局そういうことだろ??


スポーツの世界でドーピングなどの不正が許されざる禁忌なのは、その世界が平等であることの上に成り立っているからだ。


一方現実世界はどうだ?

理不尽なことだらけだ。

裕福な家庭に生まれた奴がいい教育を受けいい大学に行ったりしてる。

そんなのドーピング以外の何物でもないだろうが。

そんな競争の結果になんの価値があるんだよ。

なんもねえだろ。


でも勉強自体は実力ゲーなんだよ。

それはいい。

私立学校とか塾とかそういう教育サービスが多様化したせいで平等が失われた。そこを規制する奴は誰もいねえからな。

スポーツの世界ではドーピングは禁忌なのに、教育の世界ではドーピングは許されるらしい。

ゴミだな。


話がそれたから戻す。


競技は平等な世界であるかぎり人々に支持され続ける。

サッカーや野球は厳密に言えば体格差があってかなり平等な世界ではない。

ゲームの世界ではそういった格差はより少ない。ほとんどないと言っていいのかもしれない。

つまりサッカーや野球などより競技的なゲームの方がより平等で美しい世界であると言える。

この根幹があるため、必ずいつかサッカーや野球よりゲーム、すなわちE-sportsがメジャーになる日が来ると予測する。


だからE-sportsって名前は謙遜しすぎている。

ゲームはスポーツより平等な世界を実現する可能性をもった存在であり、その点スポーツを越えている。

スポーツのサブジャンルのような言い方をしなくていい。もっと胸を張れ。

いまの大人たちが社会から引退し、世代が変われば必ずゲームが社会的な地位を獲得する。


ゲームという言葉もその意味を変えるだろう。


新しい世界をつくるのは俺たちなんだ。