レート杯でるような人でもオカルト的なことを言う理由

レート杯にでるような人間なら

このゲーム確率操作されてるわ

なんてこと言わないんじゃないかって

思う人は多いかもしれない。


普通は運のせいにするような人は自分の過ちの発見が遅れるので謙虚な人の養分になるだけだから。

まあそれは正しい寄り。



まあオカルト的なことを言ってる人が、どのくらい冗談で言ってるかは分からんけど。



でも今回書きたいことはそういうことではない。



「全てを正しく認識しようとしてる人が必ずしも強い訳ではない。」


これを今回は書きたかった。


この世界は複雑なので、我々人間が認識してることはほんの一部でしかない。

この原則は私にとって絶対的なのだけれど、


これに基づくなら、オカルト的なことを言ってても全く問題がない。


だって圧倒的に複雑なもの(現実やシャドバ)の前では常に人間が間違えている可能性が高いからだ。


オカルト的なことを自分が知ってるごく一部の理屈で否定することは、オカルト的なことを主張するのとほとんど変わらないかもしれない。


だからこのゲーム確率操作されてるとか言う人が必ず雑魚ということにはならない。




俺が一番言いたいのは分かった気になってるやつが一番弱いってこと。


プロリーグとかで

マリガン悩んでると


こんなマリガンも決まってないの?笑


って言う奴


お前はあまりにも択が見えてない。


そんな狭い視野で思考量が少なそうで羨ましい。


対面、先後、組み合わせなどかけ算すると無限の択がある。


常に自分が知ってるのはごく一部なんだということを忘れるな。



じゃあ

シャドバを頑張って計算しようとしたり、理詰めしようとすることは無意味なんですか?

と聞かれたなら、

無意味じゃない。

って即答する。

計算できたほうがいい。

別にこれは上で書いたことと矛盾しない。

計算した上で、その計算結果が間違えている可能性を十分に把握した上で検討すればいい。



というか自分はどちらかと言えば理詰めな人間だ。

このゲームが確率操作されてるなんてあり得ないと思う。

確率操作する意味がないため。

その解釈は自尊心を保つための防衛機制でしかない。


自分は圧倒的な複雑さを有するシャドバを計算し尽くすことはできないということを前提に、

一歩一歩計算しようとする努力をしてきた。

それによって自分のバイアスが解けることもあったし、

逆に間違えたことを信じてしまうこともあった。

計算する行為をプラスにするかマイナスにするかは、計算結果をどう取り扱うかにかかっている。

そこまでできたとき、理詰めの努力は確実に強さになっていく。

理詰めとその解釈によって自分が強くなることを実感してきた。

だからこれからも自分が知っていることはごくごく一部でしかないことを前提に計算してく。








現実世界でもこの態度は重要。


あなたがどんなに考えたって、常にあなたはごく一部のことしか知らない。


だから引きこもりはよく考えてる自分のが偉いという誤謬に陥る。


分からないことは分からないままに行動してる人のほうが結果を生むことが多い。


DOCTA IGNORANTIA