続・一流プレイヤーと凡人の差

※シャドウバース Advent Calendar 2021 の企画記事です。Tobyさん素敵な企画をありがとうございます。他の方の記事も要チェックです。
(昼の部) https://adventar.org/calendars/7249
(夜の部) https://adventar.org/calendars/7203




ごきげんよう、Kroneです。

今回は私が書いてきた数ある記事の中で最高傑作と自負している、

「一流プレイヤーと凡人の差」
krone-sv.hatenablog.com


の続編を書きます。

まだ読んだことのない方は上からどうぞ。とても短いので。




さて、近年シャドウバース界隈では、プロの動画発信などもありまして、攻略情報はありふれていると言ってもいいくらいです。


しかし、大会やRatingsの結果を見ても勝っている顔ぶれにさほど変化はないような気がしています。


この現象について私なりに考察するならば、

「勝つために必要な情報量を1000だとするならば、人から聞いてできるようになることはせいぜい100あるいはもっと低い。」




勝つために色んな記事やサブスクを買っている人も勿論いるでしょう。

私は記事を売ったこともあるので、購入通知が来るたびに、皆さんの勝ちたい思いがひしひしと伝わってきます。

そんな人たちを救いたい。




結論から申し上げますと、いくら情報を仕入れても、根本的なシャドウバースの力を上げないと勝てないと思います。



私はその本質的な部分を伝えたい。



人から情報を仕入れることは確かに意味があることだ。でもやっぱり本質的な認識力をつけないと、結局一流にはなれない。



本質的な情報は正直

「一流プレイヤーと凡人の差」
一流プレイヤーと凡人の差 - Kroneの記録


これに書いてあることが全てと言ってもいい。


ほとんどの人はほとんどの人ができることをやって自分に満足している。




これで差がつくわけがない。


みんなができることをやって勝てるわけがない。


一流になるにはほとんどの人が気づかないような部分で差をつけるしかない。


でもこれは誰も使ってないようなデッキを使えということではない。それが正解なことも勿論あるのだけれど。


ほとんどの人がやってなそうな些細な部分に気を遣って考えるということである。



世界大会、レート杯を観戦して何を思うか?


「だいたい自分とプレイ同じだな。」


それはあなたがそれしか見てないから。



見えないものを見ようとして初めて一段上に行ける。



そういう意味でシャドウバースは間違い探しだと自分は思っている。


一見正しそうに見えることで溢れている。


その中で自分がどれだけ目を凝らして間違いを見つけられるか。


私昔からずっとそう考えてきました。




四畳半神話体系という神アニメ(見たことがない人は見ましょう。)で、繰り返し登場する老婆が主人公にいつもこう言います。


「好機はいつでも貴方の目の前にぶら下がってございます。」


この言葉を私は深く胸に刻んでいます。


勝ち分岐を逃してるのは見えないものを見ようとしてない自分なんだ。


手なりプレイするな。


考えることをやめるな。


皆さんが一勝でも多く掴み取れるようにこの記事を捧げたいと思います。

お付き合いありがとうございました。

世界大会盛り上がって行きましょう!







次の記事は早害のジャックさんによる
「盤外戦」のお話
です。お楽しみに。

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現状の学校教育が認知的に問題のある人間を量産し続ける理由。

世界は複雑である。

人間の理解できていることなんてほんの一部しかない。


学校ではその一部をひたすら習う。

先人がやっとの思いで解明してきた世界の一部を。

するとほとんどの人間は、


「自分はだいたいすべてのことがわかる。」


という漠然とした前提がインストールされてしまう。



この前提はあらゆる場面で影響してくる。

最終的には戦争につながる認知的問題である。


なぜか。

例えば誰かと対立したとしよう。

お互いに「自分はだいたいすべてのことを知っている。」という前提があると、自分の意見を譲らない。

しかし、「自分には知らないことの方が多い。」という前提を両者が持っていれば、相手の話を聞いてあげようということになるだろう。



だから学校教育では人間がいかに何も知らない生き物であるかを徹底的に教える必要がある。

我々が認知できていることがいかに限定されているのか。

もはやそれ以外教える必要はないのではなかろうか。

世界の歪みが少しでもなくなることを願う。



(終)

「採用理由がちゃんと言えればいいと思う」が雑魚の象徴な理由。

構築の話になったときに

「採用理由がちゃんといえればそれでいいと思う。」

って言葉をけっこう見かける。


それを言う人にこう思う。



「地の果てまでお前は雑魚だよ...。」




この上なく罵倒するからにはちゃんと説明しよう。




まず君は勝手に自分の正解のルールを持ち込んでいる。


「ちゃんと人に説明できればそれでいい。」


お母さんにずっとそう言い聞かせられたのだろうか...。



カードゲームでは当たり前だがそれが正解にはならない。









カードゲームの正解は無数の理屈で決まる。


当然人間には把握しきれない。





人間が言える理屈なんてほんの一部。



1つの理屈にとらわれてこのカードは絶対3枚確定。


雑魚の極み。




カードの採用理由とか言うときは、「~の影響が大きいから。」を口癖にしてくれ。



いつも自分の知らない理屈がある。



言葉は思考に影響する。







話を戻そうか。




「人にちゃんと説明できればそれでいい。」



それはまあ、



ちゃんと理由があればそれでいいんだよ。



ってことだろう。




でもカードゲームは自分の中で理由を決めた瞬間に他の要因が見えにくくなる。



だからちゃんと理由があってはいけない。



常に自分の知らないことがある。




自分の考える理屈がちゃんとしたものだなんて絶対に思ってはいけない。






終わり。

「東工大sv部」を名前から消します。

学部4年、大学院2年で

東工大に6年もいました。

シャドバと出会い、あまりにも遊び過ぎた時間でした。ありがとう。


「Krone/東工大sv部」という名前はもはやシャドバとTwitterやってる人なら見たことがない人がほとんどいないレベルになったのではないかと勝手に思っています。


今回私のアイデンティティーでもあるこの目立ち過ぎる名前を変えるにあたって、どういうつもりでこんな名前にしてたか、周囲の人からどういう反応をされていたのかなど、まあくだらない歴史を書いておきます。






①Krone/東工大sv部の誕生


シャドバを始めた当初はKroneでやってたんですよ。

これはアイドルマスターシンデレラガールズのProject Kroneがかっこよかったのと、自分がドイツ語が好きでかなり勉強していたのでドイツ語で王冠を意味するKroneという名詞をデレステ含めソシャゲのハンドルネームにしてました。


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そんなこんなでしばらくやってたら東工大でシャドバ部がつくられたという話をTwitterで見かけましてね。

当然加入したわけですよ。

まあ当時ね、シャドバのチーム文化がどんどん盛り上がってて、自分も名前の後ろにチーム名を書きたかったわけですよ。

シャドバのCMもシャドバ部入ろうぜとか山崎賢人が言ってて、まあつけるとしたら東工大sv部ってことになったわけですね。

まあでも、大学名をつけるのって自慢に見えるというか、まあとにかくヤバい奴ですよね。
それはまあ分かってましたよ。自分でも抵抗はありましたよ。


まあでもそこで書いちゃうのが私なんですよね。ええ。


でもめちゃくちゃ自慢したかったわけではないんですよ。高校生の時は東大以外大学じゃないって思ってましたからね。実際に東大受けて落ちて後期で東工大に拾ってもらった身ですのでね、東工大なら二流やしそんなに目立たんやろくらいのつもりでしたね。ええ。







②つけてからの反響



かなり目立ちましたね~。


とにかく名前が長い。


他のチームみんな英字3文字だけど東工大sv部はひたすら長いですからね~。


Krone/東工大sv部って名前だけでかなりいじられましたね~


豚饅頭さんの配信でコメントすると必ず学歴うんぬんの話になって大荒れでしたよ。ええ。


東工大はヤバいやつしかいないみたいに言われる時もあってね、まあ東工大の人には申し訳なかったですけどね、でもその主張は中国の人を無闇に嫌ってる人と同じレベルですからね。さすがに言ってる方がおかしいって思う人が多いだろって無視してましたよ。


他にも色々ありましたけどね、まあ目立ちたがりなんでね、そういうのも楽しんでましたね。


ほんとに学歴なんて時間がたつほどどうでもよくなっていきますからね


高校生浪人生が一番過敏に反応するんでね、シャドバは高校生多いから目立ちますよね笑



それに加えて強い主張とか、炎上するツイートをするのが好きでね、名前との相乗効果で一時期はかなり暴れてましたね笑



当然そんなことをしてるとね、失うものも大きいので、段々過激なツイートはしなくなっていったんですが...。


Krone/東工大sv部って異端な名前もね、さすがにみんな慣れてきて()、なんもいわれなくなりましたね。ええ。


まあ今でも「あ」からこの名前にわざわざ直してね、大会とかで一個人の前に立つとき、自分で自分の名前に抵抗があるんでね笑


それもそろそろやめにしようかなと。



Krone/東工大sv部って名前はとにかく印象は強いですからね。

自分でつけてても名前のインパクトがすげえなって思ってましたね。

界隈で目立ちたい人はまずは名前から強烈にしましょう。()





③今後


もう25歳でね

この界隈で楽しんでる場合でもねえですのでね、

とりあえずKroneって名前にしてね、

ひっそりとやっていきますね。


強いプレーヤーになればね、

名前なんてなんでもいいですからね。

実績でね、目立たない名前にプレミアを付与できるようにね、頑張っていきたいですね。




何もしていない時間の重さ

他人が頭の中で何を考えているか知ることはできない。



勉強でも仕事でもなんでも、



実際に机に座ってる時間=それに取り組んだ時間

であると錯覚しがちだが、

実際は

それについて考えた時間=それについて取り組んだ時間

の方が正しい。



だから



シャワー浴びてようがなにしてようが、


「あれはどういう意味だったんだろう...」
とか
「これからあれをどうしようか」


って考えてるならきっと仕事や勉強の成果は上がるだろう。


成果って言葉嫌いなので、あまり成果主義にとらわれた馬鹿みたいなことは書きたくないが、読者には少しでも成功していただきたい、かもしれない。



子供の成績がよくなるように、ゲームの時間を制限するみたいな話あるけれど、ゲームやってない時間もゲームのことを考えてたなら、意味がない。

勉強させたいなら勉強にハマらせる方法を考えた方がいい。

結局勉強させるには楽しいと思えるかが本質的。

これは子供だけの話ではない。


ゲームにハマりすぎると、本来他のことに使うべき思考リソースも知らないうちに奪われている。


人間の生活にはやらなければいけないこととそうでないことがある。


自分がとりあえずやらなければいけないことをやった上でゲームしてるから問題がないとするのは非常に危険だ。


例えば自分が将来何になるかを考えること。


これはやれと言われないことなので、

今日の宿題が全部終わったので今日はずっとゲームしよう。みたいな生活をしていると、


知らない間にタイムリミットが来る。



シャワー浴びてる時間とか、漠然と考え事をする時間、


この時間をゲームの攻略に当てるのは、知らないうちに取り返しのつかない損失をしている可能性がある。

レート杯でるような人でもオカルト的なことを言う理由

レート杯にでるような人間なら

このゲーム確率操作されてるわ

なんてこと言わないんじゃないかって

思う人は多いかもしれない。


普通は運のせいにするような人は自分の過ちの発見が遅れるので謙虚な人の養分になるだけだから。

まあそれは正しい寄り。



まあオカルト的なことを言ってる人が、どのくらい冗談で言ってるかは分からんけど。



でも今回書きたいことはそういうことではない。



「全てを正しく認識しようとしてる人が必ずしも強い訳ではない。」


これを今回は書きたかった。


この世界は複雑なので、我々人間が認識してることはほんの一部でしかない。

この原則は私にとって絶対的なのだけれど、


これに基づくなら、オカルト的なことを言ってても全く問題がない。


だって圧倒的に複雑なもの(現実やシャドバ)の前では常に人間が間違えている可能性が高いからだ。


オカルト的なことを自分が知ってるごく一部の理屈で否定することは、オカルト的なことを主張するのとほとんど変わらないかもしれない。


だからこのゲーム確率操作されてるとか言う人が必ず雑魚ということにはならない。




俺が一番言いたいのは分かった気になってるやつが一番弱いってこと。


プロリーグとかで

マリガン悩んでると


こんなマリガンも決まってないの?笑


って言う奴


お前はあまりにも択が見えてない。


そんな狭い視野で思考量が少なそうで羨ましい。


対面、先後、組み合わせなどかけ算すると無限の択がある。


常に自分が知ってるのはごく一部なんだということを忘れるな。



じゃあ

シャドバを頑張って計算しようとしたり、理詰めしようとすることは無意味なんですか?

と聞かれたなら、

無意味じゃない。

って即答する。

計算できたほうがいい。

別にこれは上で書いたことと矛盾しない。

計算した上で、その計算結果が間違えている可能性を十分に把握した上で検討すればいい。



というか自分はどちらかと言えば理詰めな人間だ。

このゲームが確率操作されてるなんてあり得ないと思う。

確率操作する意味がないため。

その解釈は自尊心を保つための防衛機制でしかない。


自分は圧倒的な複雑さを有するシャドバを計算し尽くすことはできないということを前提に、

一歩一歩計算しようとする努力をしてきた。

それによって自分のバイアスが解けることもあったし、

逆に間違えたことを信じてしまうこともあった。

計算する行為をプラスにするかマイナスにするかは、計算結果をどう取り扱うかにかかっている。

そこまでできたとき、理詰めの努力は確実に強さになっていく。

理詰めとその解釈によって自分が強くなることを実感してきた。

だからこれからも自分が知っていることはごくごく一部でしかないことを前提に計算してく。








現実世界でもこの態度は重要。


あなたがどんなに考えたって、常にあなたはごく一部のことしか知らない。


だから引きこもりはよく考えてる自分のが偉いという誤謬に陥る。


分からないことは分からないままに行動してる人のほうが結果を生むことが多い。


DOCTA IGNORANTIA

スポーツマン精神